非性愛と性欲と性嗜好品
性、性、性なタイトルになってしまいました。
今回は、非性愛と性欲(ちょっとだけBL)の話をしたいと思います。
結構デリケートというか赤裸々な内容を含みますので若干閲覧注意です。
前回の記事で話しましたが、筆者はノンセクシャル(他者に対して恋愛感情は抱くが性的欲求は抱かない人)です。でも性欲はあります。
何を言ってるんだ、と思われるかもしれません。本当に性欲はあるんです。でも人に向けられないんです。それがノンセクシャルなんです。
しかしこれは筆者の個人的な話で、中には性欲そのものがない方もいらっしゃるようです。
閑話休題。
筆者はノンセクシャルですが、性的なことに関心がないわけではありません。むしろえっちぃのは大好きだったりします。
Twitterを見るとわかると思いますが、筆者はBL (ボーイズラブ)が大好きです(ゲイの方々を消費する意図はありません、不快に思われたらごめんなさい)。
BLというとどうしても濡れ場が多くなります。もちろんそうではないプラトニックな作品もありますが、日ごろ触れる作品はそりゃもうイチャラブしているものが多いです。
BLに限らず、男女のAVを見ることもあります。ドラマや映画でそういうシーンを見るといっちょ前にドキドキしますし、ラブストーリーに涙することもあります。
けれど、自分がその状況になったら…と考えると途端に無理になってしまうのです。無理無理。
なぜでしょうね…。自分でもよく分かりませんが、とにかくダメなのです。見るのは平気、でも自分には当てはめられない。
この延長で、己に恋愛感情を向けられていると気づいた時点でその人にも近寄りがたく感じてしまうこともあります。蛙化現象というみたいですね。
蛙化現象については自己肯定感なども含めていつか記事に書きたいと思います。
ちなみに性欲はある、と書きましたが、自慰行為をしないわけではありません。それを根拠として「性欲はある」と書きました。
まとめると、「他者に性的欲求を向けられないし、己に向けられるのも無理」ということですね。
個人差はあると思います。
筆者は人に触れられるのがとても苦手ですが、友人と手をつないだりハグをするのは平気です(これも慣れただけで最初はダメでした)。
嬉しいことがあったり、久しぶりに友人に会ったりすると思わず抱きつくことはあります。でもこれは友人だからで、そこに「性」が存在しないから平気なのです。同性異性に関わらず、「この人とはどう転んでも恋愛にならない」と確信している人なら触れ合ってもなんとも思いません。
ということは、やはり筆者の接触に対する苦手意識は性意識に起因しているようです。
それがわかったところでどうにもならないのですが…。
まとまりのない文章になってしまいましたが、非性愛と性欲の話でした。
ノンセクシャルみんながこう、ではなく、あくまで筆者個人規模の話ですので、こんな人もいるんだな程度に認識していただけると幸いです。
拙い文章でしたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。共感やご意見など、コメントをいただけると嬉しいです。
性的志向と非性愛の話
ざっくりしたタイトルですが。
前回書いたとおり、性について記していきたいと思います。
はじめに、筆者は女性体、性自認女性のストレートorバイセクシャルです。
なぜストレートかバイセクシャルかはっきりしないか、という疑問はこの記事を最後まで読めばわかると思います。
ひとくちに性といっても、様々な観点や話題があります。
この記事では「性的志向」「非性愛」の二つに重きを置いて書いていきます。
上記の二つの言葉をご存知でしょうか。
この記事で性的志向の話をするにあたり欠かせないキーワードです。
簡単に説明すると、
- ノンセクシャル……他者に対して恋愛感情を抱くが性的欲求は持たない人のこと。
- アセクシャル……他者に対して恋愛感情も性的欲求も抱かない人のこと。
…らしいです。というのも、二つとも最近になってラベル化、言葉化された概念で、まだ定義が不安定とのこと。これから解釈が若干変わるかもしれません。
ひとまず、上記の定義で話を進めていきます。
筆者は上に記した「ノンセクシャル」に該当します。人を好きにはなっても性的欲求は向けない…というか向けられない人間です。
そんな馬鹿な、と思われる方もいるかもしれません。かつては筆者自身もそうでした。自分は女で、男性を好きになって、いつか子をなすのだと。
少し昔の話をします。
筆者が初めて好きになったのは男性でした。
大学の先輩で、年上の落ち着きがある中で可愛らしさも併せ持つ人でした。
お付き合いをすることになり、2回ほどお泊りもしました。
一回目のお泊りはお互い疲れていてすぐに眠ってしまいましたが、とても満たされた心持だったのを覚えています。
二回目のお泊りの時。そろそろ何かあるかな、とそわそわしながら電気を消しました。そこで先輩の背中を見ながらふと気づきます。
全く触りたいという気持ちがなかったのです。
もちろん先輩のことは大好きでした。世界中探してもこの人より素敵な人はいない、と断言できるほど。
それでも、目の前5cmにある背中を眺める以外のことができなかったのです。
自分自身の無欲に戸惑っていたのもあります。
この心のうちにある気持ちは、確かに先輩に向いている。
けれど触れられない。動けない。
そんな私の心境を知ってか知らずか、その先輩とは結局肌を重ねることはありませんでした。
この話をすると大抵、「本当に好きだったのか」「緊張していただけでは」「好きなら触れたいと思うのが普通だ」などと返されます。
そうかもしれない、と筆者も思っていました。
話は変わりますが、女子会というものは結構えげつない会話を繰り広げることもあります。
たとえば、パートナーとの性生活。たとえば、昨晩のお相手の感想。
正直、性経験の乏しい筆者にとってはぴんと来ない世界のお話です。
それでも参考になるやも、と様々な話を聞きました。
そうして話していると、自然と独身に対する「好きな人いないの?」という言葉が飛び出してきます。
彼女たちは恋愛の先輩です。良い機会だと気になる人がいる、と言った瞬間に爛々と輝く視線に囲まれます。身内の色恋沙汰は楽しいですからね。
そこで、私はこう相談します。
「気になる人はいるが、触れたいと思わない。本当に好きかどうか、どう確かめればいいのか」。
すると色々な議論が飛び交うのですが、だいたい「触れたいと思えば好き」という結論に着地します。つまり「性的欲求を抱いたら恋愛感情である」と。
さて、困りました。初恋の先輩も、失恋したとき号泣して目をパンパンに腫らした憧れのあの人も、みんな好きではなかったことになってしまいます。
その場ではありがとう、参考になったよ。と返しても、帰路につくとなんだか自分自身を否定された気分になってしまうのです。
そのうちに、恋愛感情の定義はわからないけれど、どうも自分は周りの人とは違うようだ、と受け入れることで落ち着きました。
閑話休題。
…長くなってしまいましたが、ここまでが「非性愛」の話です。
はじめに記した、筆者の性的志向のことを覚えていますでしょうか。
ストレートなのかバイセクシャルなのかはっきりしない、というお話です。
お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、筆者の周りの多数派が持っていた「性的欲求を抱いたら恋愛感情である」を判断基準にしてしまうと、ノンセクシャルの人間は本当に好きなのかがわからなくなってしまうのです。
「あの人が好きだ」
↓
「じゃあ触れたいよね?」
↓
「いやそういうわけでは…」
という問答を己で繰り返した結果、(本当は好きじゃないかもしれない…)と思ってしまうのです。
筆者も(おそらく)色々な人を好きになってきました。その中には同性の友人も含まれます。
じゃあバイじゃん、そういうわけにはいきません。
なぜなら、その友人には一切性的欲求を抱いていないからです。
他者に性的欲求を抱けない人間は、恋愛感情を判断するのも難しいのです。
こんな感じですので、筆者は子をなすことは一生ないのだろうな、と思っています。
孫を見せられないので両親には悪いですが。妹は結婚欲が凄まじいので、彼女に任せるとします。
ちなみにですが、筆者は他人に触られることを快く思いません。
小さい頃から両親に触られるのも嫌がっていたようなので、そういう性質なのでしょうね。
これについてはまた別の機会に記そうと思います。
思っていたよりも長くなってしまいましたが…
これで、性的志向と非性愛のお話は終わりです。また別の記事で触れるかもしれません。
このブログはこんな感じで、筆者の体験談を主に書いていくことになると思います。
拙い文章でしたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
はじめまして
初めての記事です。
いざ書こうとすると思うように筆が進まないものですね。
筆という表現が適切なのかはさておき。
このブログは、筆者が日ごろ何となく思っていることを吐き出すためだけのものです。
誰かを攻撃したり、批判したりという意図は全くありません。
お仲間が増えたらラッキーだな、とは思っています。
少しでも興味がありましたらTwitter(id:rin_wolfox)の方に連絡をお願いします。
とはいえ、心にたまったもやもやの掃き溜めになるだろうとは思いますので、あまりポジティブなブログにはならないと思います。
次の記事では最近体験した性にまつわる出来事について感想を書く予定です。
共感、ご意見などございましたらコメントしてくださるとありがたいです。